それでも生きる。

デイサービス勤務の理学療法士がゆるくて、ふかーい、人生哲学を発信していきます。

友達とは困難を乗り越えるための仲間。『えんとつ町のプベルを見ての感想』

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年末、年始の休みも

 

今日で最後。

 

正月を過ぎてから、

 

どうしてからか、

 

日差しが明るくなったような、

 

でも、相変わらずの寒さは続いているんだけど、

 

年末と変わって

 

わきあがる気力みたいな、

 

そんな、

 

わくわく感が続いていて、

 

(ややテンションは高めです。。。)

 

そんな中、

 

ずーっと見たいと思っていた、

 

えんとつ町のプベル

 

見に行ってきました。。。

 

えんとつ町のプベルの原作は絵本

あらすじは、  

 

主人公ルビッチはえんとつ町に住む少年で、  

 

今まで、誰も見たことのない、  

 

亡くなった父ちゃんが信じた夢の  

 

『ホシ』を見るために、  

 

えんとつ屋として働きながら、  

 

家計を助けている。  

 

そんな中、   ある日、えんとつ町に舞い降りた、  

 

ゴミ人間のプベルと出会い、  

 

ルビッチの生涯初めての友達となり、  

 

えんとつ町でかつて誰も見たことのない  

 

ホシをみるために、   たくさんの人たちに笑われながら、  

 

時には暴力を受けて、   傷だらけになりながらも、  

 

時にはあきらめそうになりながらも、  

 

夢を信じ続けたルビッチと、  

 

ゴミ人間プベルの物語なんです。。。  

 

夢を語れば笑われる現代社会の縮図    

 

終始、映画みながらも、   涙が止まらなくて、  

 

総監督の西野さんの、

 

今までの体験してきたもの。  

 

ただ自分の夢をかなえたいという想いだけなのに、

 

たくさんの人にたたかれて、   誹謗、中傷を受けてきて、

 

夢を語って、   チャレンジしているだけなのに、  

 

西野さん自身が、   だれも傷つけていないのにも関わらず、

 

んで、その   生きてきた過程そのものが、  

 

映画のすべてに詰まっていて、

 

ルビッチと、そのルビッチの夢をあきらめない、

 

ゴミ人間のプベルの関係性が、

 

友達とはなんなのだろうか。  

 

と、ふと、あたまの片隅に浮かんできて、

 

考えにふけったわけで。。。

 

友達とは困難を乗り越えるために、夢をかなえるために励ましあえる仲間だ。  

 

今、私はブログを書いていて、なにやってんだあいつと、  

 

笑っている人もいると思うし、嘲笑されることもある。

 

以前に働いていた、苦しかった経験をした場所で、

 

自分がこうなりたいという想いに対して、

 

なに言ってんの?と、自分の能力と比較して、

 

鼻で笑われたこともある。

 

自分が、友達だと思っていた人から、  

 

自分がなにか、生きる目的みたいな、

 

そんなものを見つけて行動しているのに、

 

馬鹿にしてくる人もいる。  

 

わたしが思うに、  

 

ほんとうの友達とは、

 

自分がこうなりたい。

 

こんな夢をかなえたいという想いに対して、

 

賛同してくれるひと。

 

応援してくれるひとなのかもしれない。  

 

それは、べつに距離とか一緒にいた、時間といった

 

時間的、空間的なそういうものではなくて  

 

目指しているものがお互い上を見ているか、

 

という、見ている世界に共感できるような

 

そんな共通認識があるんじゃないかと 

 

わたしは思う。 

 

ほんとうに苦しい経験や、

 

チャレンジしている人たちというのは、

 

行動している人たちを笑わない、

 

馬鹿にしない。

 

自分も、そんな人になれるように

 

歩みを止めないように、していこう。。。

 

 「他の誰も見ていなくてもいい

 

黒い煙のその先に、

 

お前が光を信じたのなら、

 

行動しろ。思い知れ。常識に屈するな。

 

信じ抜くんだ、

 

たとえ一人になっても」

 

~ルビッチの父 ブルーノ より~

 

 ぜひぜひ、「えんとつ町のプベル」

 

を見てみてください。

 

最後まで読んでいただき、

 

ありがとうございます。。。

原動力はずっとひとりで生きていないこと。

 無料写真] 夕暮れの海と手をつなぐ家族 - パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集

 

世間は大晦日で、

 

だんだん、風も強くなってきて、

 

特に今日は寒くて、

 

日差しがあるのに、

 

刺すような風とは裏腹に、

 

今年は一人でいることが多かったなぁと、

 

しみじみ思っていて。

 

コロナウイルスのおかげさまで

 

去年とはうって変わって、

 

ブログを書くことや、

 

英語を勉強したり、

 

本を読む時間が増えたり、

 

最初は、

 

人に会えなくてつまらないと、

 

行動していないから、

 

怖いと、

 

行動=自己成長という、

 

勝手な

 

自分の思い込みみたいなものが、

 

頭の中をぐるぐるとめぐりに巡って、

 

いた自分だけど、

 

考える時間というものの大切さと、

 

今やっていること、というものに、

 

向き合うことの大切さみたいなものを、

 

ほんとうの意味で大切さを知った、

 

1年になりました。。。

 

ほんとうであれば。。。

 

ほんとであれば、今年の4月にフィリピンに行って、

 

語学留学をして、

 

その後はアメリカに留学をして、

 

アスレチックトレーナーの資格というものを

 

とりたい、

 

という自分の想いみたいなものがあって、

 

でも、現状というものを見てみると、

 

コロナウイルスという、ものが蔓延して、

 

先が見えないというか、

 

それも含めてだけども、

 

自分のキャリア設定みたいなものを考えてみると、

 

それはほんとうに、

 

自分にとっての幸せなのか、

 

スポーツに携わりたいというのは、

 

趣味レベルで?仕事レベルで?

 

その先、はどうなのか?

 

日本に帰ってくるのか?

 

アメリカにずっといたいのか?

 

とか、いろいろなことを考えてみると、

 

それが自分の本当にやりたいことなのか?

 

と、いう、

 

客観的に、今いる現状でも、

 

成長できることは、

 

たくさんあるんじゃないかと、

 

考えている日々で。

 

場所は関係ないのではないか。

 

あらためて、理学療法と、

 

地域リハビリテーションというものに

 

向き合っていて、

 

いままでの自分のやっていた治療というものが、

 

運動、解剖、生理学の基礎的なところを、

 

おろそかにしていたり、

 

忘れていたり、

 

今の自分の知識というものに、

 

頭が悪いからとか、

 

そういうものではなくて、

 

自分と関わってくれた人には、

 

どうせだったら、

 

良くなってもらいたいみたいな

 

人生前向きになって、ほしい、みたいな、

 

身体もだけど、こころ的なところでも。

 

そんなことを日に日に考えるようになって、

 

そんなこんなで、

 

勉強したことが人の役に立つという、

 

ものを経験してみると、

 

こんなにも勉強することが、

 

おもしろいんだと、

 

ひとりになるという、選んだ自分の

 

環境を得て、培うことができた、

 

新しい感覚を持つことのできた

 

2020年で。。。

 

それもこれもすべては自分の周りにいてくれる人のおかげ。

 

いま、いわきで働いていて、

 

自分の思考回路が前向きに、

 

取り組めているのも、

 

すべては、こんなにもめんどくさい自分と、

 

一緒に仕事をやってくれている

 

理学療法士

 

同僚や、

 

自分の考えとか意見とか、

 

そんなものを、

 

偏見とか、

 

そんなものなしで聞いてくれる、

 

スタッフ、上司の方々で、

 

協力的な人たちがいてくれなかったら、

 

自分という存在というものを、

 

自分自身で、肯定的に、

 

見れていないんだろうなと、

 

だから、

 

自分は恵まれているんだなぁと、

 

運というものが、改めて、

 

良いんだろうなぁと、

 

ありがたいと思える日々で。。。

 

2021年は。。。

 

2019年の自分は、新しい環境に飛び込み、自分の価値観を見つける。

 

2020年は、準備というものを大事にする。

 

2021年は知識を吸収しながらも、

 

自分のできることをアウトプットしていくということ

 

そして、出会ってきた人たちとのご縁を大切にするということ、

 

をテーマに。

 

特に2020年はインプットをたくさんしてきたから、

 

徐々に、アウトプットへ変えていけたら。

 

がちがちに、自分のやりたいことを、

 

無理に、

 

状況を捻じ曲げてまで

 

やるのではなくて

 

自分の求められることみたいなことに答えながらも、

 

能動的だけども、

 

宇宙の流れみたいなそんなものに、

 

抗わないように、

 

ちょっと、哲学的だけど、

 

まぁ、そんなものを大事にしていけたら。。。

 

ひとりで生きていたならば こんな気持ちにならなかった

 

ひとりで生きていたならば 理不尽も許せたかもな

 

ひとりで生きていたならば

 

ひとりで生きていないから

 

悔しさこみ上げるほどの「大切」に出会えたんじゃないか

 

こだわって生きると 今一度言い切るよ

 

原動力はずっとひとりで生きていないこと

 

SUPER BEAVER ひとりで生きていたならば より~

 


SUPER BEAVER 「ひとりで生きていたならば」 MV

 

 いつも、長々と、読んでいただいて、

 

ありがとうございます。

 

来年も1記事1記事丁寧に、向き合っていけたら。。。

 

来年もよろしくお願いいたします。

 

感謝をこめて

 

 

 

 

都道府県の奇跡

日本の47都道府県の地図のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

 

わたしの働いている、

 

デイサービスには

 

ある80台後半のおばあさんが

 

通っているんだけども、

 

そのおばあさんは、

 

わたしが今の職場で

 

勤めていた当初(だいたい1年と半年前くらいかな)、

 

すごーく鬱々しい感じで、

 

リハビリをしているときの会話も、

 

すごーくネガティブで、

 

家での家事に関しても、

 

『食事とか掃除とかやってみませんかねー』

 

という提案に対しても

 

『怖くてできません』

 

『心臓がドキドキしたらどうしよう』

 

というような、

 

本人はやりたいとは言うけれども、

 

そこには心臓を手術した既往とか、

 

不安とか、

 

いろんなものが、

 

あいまっていて、

 

リハビリ場面では、

 

屋外歩行も、立っての作業も、

 

出来てはいて、わたしが見る感じでは、

 

家事もできるんじゃないかなーという、

 

感覚というか、

 

そんなものがあって、

 

でも、リハビリ側の思うできると、

 

本人の思うできるというものの間には、

 

大きな乖離みたいなのがあって、

 

どうやったら、自分自身で、

 

行動に移せるようになるのかなぁというものが、

 

悶々とあったんですね。

 

キングオブネガティブ

 

んで、そのあばあさんはキングオブネガティブで、

 

かつ、敏感だから、

 

(わたしの5倍以上はね)

 

ちょっとした言葉や身体症状にも反応しちゃって、

 

足に浮腫ができたことで、

 

軽いものなんだけど、

 

心配性で、すぐに病院に行ったり、

 

足の静脈瘤に関しても、

 

『私はもう死んでしまうかもしれない』

 

と、思い込んでしまうような、

 

そんな人で、

 

だから、自宅での運動とか、

 

もともとやっていた家事とかにも、

 

消極的で、できるわけがないし、

 

続けられる自信もない

 

というマインドは、

 

なかなか変えることが難しかったんですね。。。

 

都道府県。。。

 

それで、ある日のリハビリで、なんだけど、

 

他の利用者さんと、都道府県を言い合うような、

 

記憶の訓練を行ってみたんだけど、

 

その、キングオブネガティブのおばあさんは、

 

案の定、全く答えることもできず

 

(たしか、福島県も答えることができず。。。)

 

自分が住んでる場所すらも、

 

答えることができないことに、

 

残念がって、いて、

 

それに対して、他の利用者さんは、

 

ポンポンと、スラスラと、

 

答えられて、

 

まぁ、そのときの、あのあばあさんの、

 

あっけらかんとした、

 

こんなこともわからないのか、

 

という、

 

めじりにしわをよせた表情が、

 

笑ってはいるんだけども、

 

喜びとは真逆の、

 

そんな、感情が

 

わたしにも伝わってしまいまして。。。

 

んで、運動よりも都道府県を覚える特訓が始めてみた。

 

んで、それから、そのおばあさんと一緒に、

 

まずは東北地方を覚えるという、

 

雑学的なものを、

 

わたしとともに働く同僚は、

 

やり始めて、

 

最初はなかなか、覚えることが出来なかったんだけども、

 

おもしろいことに、

 

そのおばあさんはすごーく心配性な、

 

おばあさんなもんだから、

 

リハビリの時が一種の、

 

テストの日みたいな、

 

そんなもので、毎週、繰り返し、

 

やっていくうちに、

 

時間はかかったんだけども、

 

47都道府県をいえるようになって、

 

そして、

 

挙句の果てには、

 

都道府県の有名なものとか、

 

観光地とか、特産品とか、

 

そんなものまで、自分で覚えてきて、

 

気づいたら、私と、同僚がわからないことまで、

 

わかるようになってしまい、

 

わたしたちが、

 

なんか勉強になっちゃっている、

 

そんな逆のリハビリになっている状況でして。。。

 

繰り返しが自信になるのでは。。。

 

そのあばあさんは、

 

今では、福島県の市区町村名を覚える

 

みたいな、

 

だんだん、マニアックなところまで、

 

始めていて、、、

 

おもしろいことに、都道府県を覚えた、

 

5倍速くらいの速さで覚えている状況でして、

 

本人としても、

 

一回ではできないけど、

 

繰り返せばできるというような、

 

そんな感覚がわかっている。

 

そして、

 

一緒に世界も覚えちゃいましょう。

 

と、リハビリを通して、

 

世界制覇を企んでいる

 

そんな状況でして。。。

 

(これを一般的なリハビリと名乗っていいものなのか。。。)

 

それからというものの、

 

気づいたら、地道に自宅のことでも、

 

以前はやっていたことに、

 

チャレンジを初めて、

 

1年という時間をかけて、

 

いまでは、自宅で食事を作っているし、

 

掃除もしている。

 

家族と買い物にも出かけているし、

 

家の前を少し歩いている、

 

毎日、都道府県や福島県の市区町村名を

 

紙に30分間書いて覚える練習をしている。

 

1年半前のあのときのおばあさんと、

 

いまのおばあさんでは、

 

行動というものが全く別人で、

 

一つのことが出来るようになるというのは、

 

べつのことにつながっているんじゃないかと、

 

考えてしまうわたしで。。。

 

ひとつの努力やできることが、自分の能力を最大限に引き出すのではないのだろうか。

 

わたしもそうなんだけども、

 

自信というものが、今でもわからないし、

 

理学療法士という仕事をしているけども、

 

自分より知識や技術のある人なんて、

 

いっぱいいる、でも、

 

大事なことは、

 

自信をつけようとするんじゃなくて、

 

ひとつのことでもほかの人よりも知る努力をする

 

そんなものがべつの何かにつながる

 

と思っている私で。

 

その一つのことでも知ることができたら、

 

べつのことでも、覚えることの

 

好奇心みたいなものが出来て、

 

それは覚えること以外にも、

 

運動でも、

 

資格でも、

 

やったことないものでも。

 

そんなものへでも、

 

つづければ出来るようになるんじゃないか。と。

 

そして、それを続けているうちに、

 

わかることがたくさん増えてきて、

 

気づいたら自信のある人のように見えている。

 

それが自信とよばれるものなのかもしれない。

 

そんなことを

 

このあばあさんとのリハビリを通して、

 

なにか、

 

大切なことを、

 

ひとつのことを、がんばること。

 

続けること、努力というものの意味を、

 

学ばせていただいている、

 

そんな私です。。。

 

負けたら終わりじゃなくて

 

やめたら終わりなんだよね

 

どんな夢でも叶える魔法

 

それは続けること

 

苦しみ 悲しみ

 

その先見える光

 

自分の道 ずっとずっとコンティニュー

 

SEAMO Continue より~

 

youtu.be

 

 

 続ける努力。。。

 

ブログも31記事目。。。

 

なにかにつながっているし、

 

つなげる努力。。。100記事目には見てる視点も変わるかな。。。

 

意味を見つけていこう。。。

 

これも幸せ

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わたしの働いている

 

デイサービスでは、

 

利用者さんを喜ばせるために、

 

毎年恒例行事のクリスマス会が、

 

12月の24日と25日に、

 

あるんだけれども、

 

ここ最近は、

 

その行事の準備やら、

 

年末特有の、

 

仕事が増えるという現象で

 

ここ最近は忙しくて、

 

なかなか、一緒に、

 

働いている、

 

同僚とも、

 

ごはんを食べに、行けなかったんだけども、

 

やっとのやっとで、

 

クリスマスの日の夜に、

 

同僚と、

 

一緒に、

 

男二人で、

 

ごはんに行こうという予定を立てて、

 

行ってきたんです。

 

そのお店が、

 

ここ。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

麺屋しをん|いわき市の二郎系ラーメン | ぐるっといわき

 

いわき市の次郎系ラーメン”麵屋しをん”とは。。。

 

 この店は、

 

いわば、

 

私だけなんだけども、

 

じろりあん

 

(次郎ラーメン好きを呼称)

 

にとって、

 

魔法の粉を、

 

いれているんじゃないかと

 

(いい意味で。。。)

 

麻薬物質か、

 

考えるだけで、

 

ドーパミンが放出されるような、

 

一度行くと、

 

身体が、細胞レベルで、

 

求めてしまうような、

 

想わせられるような、

 

そのようなもので。

 

現代ラーメンの好尚、

 

麵屋しをんに男二人で、

 

クリスマスイブの夜に、

 

行ってきたんですね。。。

 

値段がリーズナブルでおいしい。

 

そこのラーメンは、だいたい、

 

700円~1000円くらいの、

 

リーズナブルな価格で、

 

最も、27歳の

 

成人男性にとっては、

 

毎回、行くたびに、

 

胃がもたれてしまうような、

 

量の話ではなく、

 

量も多いほうなんだけど、

 

背油的なものと

 

ボリューミーな、

 

チャーシューが、

 

原因だと思ってるんだけども、

 

毎回行くたびに、

 

食べているときは、

 

至福を感じ、

 

そして

 

食べた後に後悔するという、

 

なぞの循環に苛まされてしまうんですね。

 

学習力がないのかもしれない。。。

 

幸福とは。。。

 

今日まで、忙しくて、

 

ラーメン屋に行くこと自体が、

 

一か月ぶりで、

 

今週なぜ、仕事を頑張るのか、

 

というものの理由のひとつに、

 

魔法の粉が入っている、

 

ドーパミンがドバドバ出てくる、

 

現代の好尚的な、

 

そんな

 

ラーメンを食べに行くために。

 

という、

 

いわば、

 

ひとつの、

 

頑張る動機的な、

 

そんなものを報酬系にして、

 

仕事を頑張っていたわけですね。

 

んで、幸福とは。。。

 

わたしの横で、

 

同僚は辛味のまぜそばを、

 

汗をだらだらと垂らしながら、

 

あたらしい食べ方を

 

あみだしてしまったと、

 

言い、

 

溶き卵に、

 

つけめん風に、して、

 

まぜそば

 

すすっている姿は、

 

まぜそばという、

 

一般常識を、

 

概念的なものを、

 

覆すような

 

そんな衝撃的な、

 

食べ方で、

 

もくもくと、

 

でも、幸せそうに、

 

めっちゃ辛いと、

 

悶えながら、

 

そして、

 

わたしの隣の隣で、

 

一人で、

 

店に来ている、40代の

 

独身男性と

 

思われる、

 

客の、”にんにくマシマシでお願いします”

 

という、抑揚のある声をきいて、

 

そんなものが、

 

これこそが幸せの本質なのかもしれないと、

 

前日の睡眠不足の、

 

調子が悪いけど、

 

おなかがすいて、

 

あっさり味噌ラーメンをすすりながらも、

 

あっさり系も、

 

この店はうまいんだな。

 

と、

 

考えに耽っていたわたしで。。

 

幸福とは感情の揺れ幅なのかもしれない。

 

わたしには

 

趣味といった

 

ものがなくて、

 

一人で吞みに行くことが好き

 

というくらいで、

 

なにが好きで、

 

どうしてる瞬間が楽しいとか、

 

そんなことが

 

時より

 

わからなくなるんだけども、

 

大事なことは、

 

感情の揺れ幅というものこそ、

 

幸福というものを感じるために、

 

必要なこと

 

なのかもしれない。

 

だから、

 

普段の起きた出来事のなかでも、

 

辛い、悔しい、思い通りにいかないとか、

 

負の経験とか、そんな、

 

マイナスに感じるものは、

 

実は、普段何気ないことに、

 

ありがたみを感じたり、

 

あのころに比べたら今は。。。

 

というような、

 

今いる場所というものに、

 

感謝が生まれる。

 

だから、辛いなーという感情は、

 

実は悪いものではなく、

 

幸福を感じるための、

 

助走で、

 

その助走というものが、

 

長ければ長いほど、

 

幸福というものを

 

感じやすくなるのかもしれない。

 

だから、だいじなものは値段ではなくて、

 

自分で感じる価値というもの

 

見ていきたいなぁ。

 

クリスマスイブの夜に、

 

ラーメン代に出した

 

1000円は

 

忙しかった仕事とともに、

 

それ以上の感情を生み出したものに、

 

 なったとさ。。。

 

えんとつ町は煙突だらけ

 

そこかしこから煙が上がり、

 

頭の上はモックモク。

 

黒い煙でモックモク。

 

えんとつ町に住む人は、

 

青い空を知りません。

 

輝く星を知りません。

 

 

 

 他の人にはわからないけど、

 

自分はこれが好きなんだよなぁ

 

というものに

 

目を向けていこう。。。

 

 

 

いまじん

 ジョン・レノン 画像 | 無料のベクター、ストックフォト、PSD

 


一年中あたたかさを感じるいわきなんだけども、

 

ここ最近は、

 

冷たい風が吹き込むことが、

 

強くなってきて、

 

朝も布団から、出ることのハードルが、

 

少しずつ高くなっている今日このごろで。

 

最近久しぶりに、感情が動かされた、

 

考えさせられることが

 

たくさんあったよき、

 

本に巡り合えたので、

 

お決まりのスタバの隅っこで

 

思ったことをつらつらと、

 

書いてみようと、

 

思います。。。。

 

強盗殺人の兄の弟というレッテルを張られた直貴のお話

 

あらすじは、

 

強盗殺人で服役中の兄、剛志から、

 

月に一度、手紙が届く、弟の直貴。

 

家が貧しく、直貴の大学進学のために、と思い、

 

やってしまった、剛志の強盗殺人。

 

アルバイトをするにしても、

 

大学進学するうえでも、

 

音楽で夢を見つけたにしても、

 

好きな人と結婚をするにしても、

 

子供を育てていくにしても、

 

障害になり挫折や、

 

あきらめるという選択をしてしまうのは、

 

いつも、

 

強盗殺人をした兄の弟という直貴のレッテル。

 

そのレッテルのなかで、生きていく、

 

直貴の直貴自身の向き合い方というものに、

 

社会的差別というものを、

 

考えさせられました。。。

 

私たちは無意識に社会的差別の中で生きているんじゃないだろうか

 

このお話の中で、

 

バンドでメジャーデビューをする手前でも、

 

好きな人と結婚をしようとする直前でも、

 

希望が通った部署でも

 

かならず、

 

兄が強盗殺人をした

 

という事実を周囲の人間に知り渡った途端に、

 

直貴を見る目というものが変わって、

 

バンドを辞めることになったり、

 

結婚を拒否されたり、

 

営業の部署から配置変換されたり、

 

そして、

 

気づいたら、人間が離れていく、

 

ことごとく夢をあきらめる。。。

 

直貴の努力や親切な人間性というものを無視して、

 

そのレッテルでその人間をイメージ化してしまう

 

という、ことがたくさんあって、

 

それが、

 

妻にも、

 

子供にも、

 

夫の兄は強盗殺人犯

 

お父さんの兄は強盗殺人犯

 

というレッテルを張られ、

 

そのレッテルというものは、

 

ただの、

 

自分が見たい、自己中心的な

 

個人へのイメージでしかないんだろうなぁと

 

考えてしまうような気がして。。。

 

でも、社会的差別があるのはあたりまえなんじゃないだろうか。

 

でも、社会的差別があることは、

 

あたりまえなんじゃないだろうかと、

 

個人的には考えていて、

 

それは、豪邸に住んでいる人はきっと上品な人なんだろうなぁ。

 

とか、

 

あの人は東京大学を出たから、きっと仕事ができる人なんだろうなぁ。

 

とかとか、

 

学歴や、所有しているもの、SNS、社会的地位とか、

 

それが個人のイメージを作るものだし、

 

良い意味でも悪い意味でも、

 

個人の持った印象自体が、

 

それは、ある意味、社会的差別になりうるものだと

 

思っていて、それがこの本では

 

強盗殺人をした兄の弟

 

というインパクトの大きい、

 

レッテルであるんだろうなぁ。。。

 

大事なことはレッテルを疑うこと、想像なんじゃないだろうか。。。

 

個人をブランディングするSNSがある。

 

資格を持っている。

 

○○という有名企業で働いていたことがある。

 

○○という会社で社長をしている。

 

 という個人をイメージ付けををするレッテルがある。

 

でも、

 

実際に話してみると、

 

自分のことしか話さない。

 

持っているものの自慢しかしない。

 

結局、人のために自分はなにをやっているのか、

 

どんな想いでやっているのか。

 

結局は自分の利益、損得のことしか考えない人もいる。

 

でも、

 

過去に、強盗や、逮捕歴とか法的違反を、

 

過ちを犯してしまっても、

 

いま、その経験があるから、

 

世間のために、こうありたいという、

 

軸を持っている人、行動している人がいる。

 

レッテルだけしか見れていない人は、

 

想像するということを放棄して、

 

その人の本質を見ようとしない人たちもいる。。。

 

自分自身、自分が見たい世界でしか、

 

物事を見れていないけども。。。

 

こういう見方もできるかもしれない。

 

一見短所に見えるけども、

 

こういう視点から見たら、

 

逆に長所になるよなぁ、とか、

 

たくさんの視点で

 

事象や個人というものを想像できるような。

 

そんな人でありたいなぁ。。。

 

結局だいじなことは、

 

それはほんとうなんだろうか??

 

と一歩引いて、

 

疑問に思うことが本質をみるためにはだいじなことなのかもしれない。

 

 Imagine there's no countries


It isn't hard to do


Nothing to kill or die for


And no religion too


Imagine all the people


Living life in peace

 

【訳】

想像してごらん。国なんて関係ないんだと。

 

難しいことなんかない。

 

殺す理由も死ぬ理由もなく

 

宗教もない

 

想像しよう。みんなが

 

ただ平和にいきているって。。。

 

ジョン・レノン Imagineより~

 

習慣と信頼

握手している人のシルエット | 無料のAi・PNG白黒シルエットイラスト

 

今週は、曇りが主役で、

 

それと、

 

秋晴れと、

 

雨が、

 

ころころと変わるような天気が続いていて、

 

寒さで肌寒くって、

 

低気圧よ、勘弁してくれと、

 

こころはざわつく、

 

そんなわたしで。

 

スタバのホットコーヒーに、

 

安心感を得るような今、

 

スタバにいることに暖かみみたいな、

 

そんなものを感じる。。。

 

ふと、今週読んだ本のある、言葉が、

 

ずーっとこころに引っかかっていて、

 

良いのか、悪いのか、

 

1つのことを、

 

どうしても、

 

ふかーく考えてしまうので、

 

文章にしてみようと、思い、愛用の

 

パソコンを開いて、

 

かたかたと打っているわたしで。。。

 

最近、読んでしまう作者は。。。

 

最近は

 

村上春樹伊坂幸太郎の本をついつい、

 

買ってしまうことが多いんだけども、

 

印象に残った本があって、

 

それは。。。

 

伊坂幸太郎

 

ゴールデンスランバーという本なんだけども。。。

 

(ネタばれ嫌な方は読まないように。。。)

 

 

あらすじは。。。

 

あらすじはというと、

 

主人公の青柳雅春という青年が、

 

ある日、日本の総理大臣の暗殺事件の犯人に、

 

仕立てられてしまって、

 

その、総理大臣暗殺事件の指名手配犯として、

 

政治、警察、マスコミ、国民すべての人たちから、

 

追われて、その逃亡劇をのすべてを、

 

仙台市を舞台に綴られたもので。。。

 

(もちろんフィクション)

 

アメリカのケネディ大統領暗殺事件が元ネタになっていて、

 

んで、暗殺をしたとされる人物が、

 

オズワルドという、

 

実は、指名手配に仕立て上げられ、

 

んで、暗殺されてしまうというものを

 

日本を舞台に

 

フィクションで描かれたものなんです。

 

親友の森田森吾という人物が。。。

 

主人公の、青柳雅春には大学時代の、

 

親友の森田森吾という人物がいて、

 

その森田森吾は、

 

爆弾が、仕掛けられている、

 

車から、主人公の青柳雅春を逃がして、

 

それで、

 

森田森吾は物語の早い段階で

 

車が爆発して

 

亡くなってしまうんだけども。

 

(マスコミでは爆発事故と嘘の情報を報道されて)

 

それで、

 

話が進むにつれて、

 

主人公が、これ以上、逃げるのは無理だろう

 

という状況の中で、

 

過去、森田森吾との会話がシーンみたいなものが、

 

回想されて、

 

森田森吾の言葉の数々が、

 

主人公の心を奮い立たせて、

 

最終的には逃げ切るんだけども、

 

んで、その言葉のうちの一つがどうしても、

 

あたまからはなれなくて。。。

 

人間にとっての最大の武器とは。。。

 

それで、物語の終盤で、

 

主人公は全国指名手配を受け、

 

逃げ続ける中で、

 

森田森吾が発した、

 

人間の最大の武器は

 

”習慣と信頼だ” 

 

という言葉を反芻して、

 

自分を奮い立たせて、

 

逃げ切るんだけども、

 

青柳森吾を知っている友人、家族、

 

事件に関わった人たちは、

 

主人公の行ってきた行動習慣と

 

かけ離れすぎている行動を、

 

マスコミは垂れ流すんですね。

 

んで、

 

その嘘の情報というものに、流されずに、

 

警察に殺されるかもしれない状況でも、

 

主人公を逃がすために、協力して、

 

結果、主人公が生き残れるように、

 

最後まで協力し続けたんです。

 

習慣と信頼とは。。。

 

それで、なにが言いたいのか。。。

 

習慣こそ信頼というものを作るんじゃないか。

 

と、この本を通して感じたことで。。

 

そもそも、

 

個性とは

 

すべて習慣というもので構成、

 

構築されていて

 

結果、

 

良い人、悪い人、適当な人、おもしろい人、

 

優しい人、明るい人、つまらない人、

 

とか、

 

そういった個人の物差しで、

 

信用、信頼していい人なのかを

 

認識されている。

 

んじゃないか、と思ったんです。。。

 

その人、個人の習慣というものが、

 

信頼を作る

 

だから、良い習慣のある人ほど、

 

信頼を得ることができる。し、

 

逆に、悪い習慣のある人ほど、

 

信頼を得ることが出来にくい。

 

信頼こそ、自分が生きていく上で、

 

呼吸をしやすくなるような、

 

酸素みたいな、そんなものなのかなぁ。

 

もしなにか困ったときに、

 

信頼のある人ほど、手を差し伸べてくれる人が

 

多いと思うし、

 

信頼がない人は助けてもらえず。。。

 

うまくいかなくなるのかと。

 

まとめると、

 

良い習慣は最大の武器になる。

 

シンプルに、そんなことが言いたいわたしなのかなぁと。。。

 

俺にとって

 

残っている最大の武器は

 

人を信頼すること

 

くらいなんだ。

 

ゴールデンスランバーより~

 

そんなことを書きつつも、

 

気分にムラがある私で、

 

信頼されるような人間ではないけど、

 

やらなきゃいけないことを、

 

先送りにしてしまうときもあるけど、

 

意識して生きていきたいなぁ。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

 

 

迷走と夢中の途中。

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10月に入って、曇りの日が増えて、

 

台風14号はなんとか、いわきからは逸れて、

 

でも、一日曇りと小雨が降り続けていて

 

気圧差なのかどうなのか、

 

最近はいつもと変わらない、仕事量だったり

 

するんだけども、

 

なんとなく疲れたなぁと、

 

思うことが多くて、

 

気晴らしに、温泉とか、

 

本を読む時間を増やしたりとか、

 

気を紛らわすようなことを、

 

多くしている日々で。。。

 

最近は休憩することの大切さを、

 

わかってきていて、

 

体力のない自分を、受け入れながら、

 

ブログでも書くかと、

 

ふと、思いついてしまったわけで。。。

 

自分の傾向として。。。

 

自分の性格として、今まで気づかなかった部分だけども、

 

どうしても、物事を合理的に考えてしまっている、

 

癖があって、

 

今年に入るまでは気づかなかったんだけども、

 

今あるものをどうしたら、

 

活かせるんだろうか。。。

 

みたいな、

 

今やっていることをベースに物事をどんなふうに

 

進めていければいいのか、

 

と、

 

効率最優先みたいな、

 

自分の良いところでも、

 

悪いところなんだなあ、、、と

 

思うことがつくづくあって、

 

必要最低限のことだけに、

 

目が向いてしまうあまりに、

 

他の部分を、おろそかにしてしまうことが

 

とても多くあるんです。。。

 

(具体的な話はまた今度で。。。)

 

これからの自分はどうしたいんだろうか??

 

それで、そういう合理的な性格の自分は、

 

最終的にはどうなっていたいんだろうか?

 

と、いわば、ゴールがあやふやになっていて、

 

合理的な性格ではあるんだけども、

 

やりたいことがたくさん、ある自分という、

 

いわば、矛盾の塊が自分に押し寄せていて、

 

介護現場での、リハビリというものの中に、

 

おもしろさをすごく感じている自分。。

 

それと、

 

ずーっと言い続けてきた、

 

アメリカに留学して、

 

アスレチックトレーナーの資格をとって、

 

アメリカで働きたい、という、

 

そこにチャレンジをしたい、

 

と、思っている自分の、

 

せめぎあいの中で、

 

結局自分はどうなっていたいんだろう?

 

という本質的なところの、

 

問いの答えみたいなものが、

 

出せていない自分がいて、

 

いわばブレブレの自分が、

 

なんというか、それぞれの意見を交わしているような、

 

そんな状況でして。。。

 

本質的な答えとは。。。

 

んで、自分なりに考えていることではあるんだけど、

 

前までの自分は、

 

なにか、大きなことをやりたい、

 

とか、ほめられたいだとか、

 

そんな承認欲求みたいなものを、

 

求めていた自分がいて

 

(今でも、承認欲求みたいなものはあるんだけども。。。)

 

そんなわけで、

 

なにかかっこいいことをしたいとか、

 

すごいと思われたいだとか、いう

 

自分がなにに満足するかという基準より

 

他者のものさしに自分がぶれてしまうような、

 

そして、どんなやり方がいいのだろうか、という

 

方法論みたいなところばかりを

 

考えていたんですね。。。

 

(書いていて恥ずかしいですが。。)

 

だから、自分がどんな状態のときが幸せなのか、とか、

 

なにに、満足をしていて、

 

どんなことはしたくない、とか、

 

大事なことは、自分がどんな状態になっていたいのか

 

そんなことをベースに物事に取り組んでいなかった。

 

から、方法論みたいな、

 

他者の評価軸で、進んでいたんだろうなぁ。。。

 

んで、その本質的なところとは。。。

 

それで、その、本質的な状態を考えた時に、

 

ほんとうにシンプルで、

 

自分自身は

 

①物事に夢中になっていたい。

 

②ありがとうと言われたい。

 

③好きな人と仕事をしていたい。

 

特に上2つが自分にとっての、幸せの本質で、

 

その本質が満たされているのであれば、

 

なにをやっていてもいいなぁと、

 

最近、考えにふけっていたわけであって。。。

 

”夢中になれている状態”こそ、本当の意味の夢になるんじゃないのだろうか。

 

夢を持ちなさい、とか、

 

やりたいものがなきゃだめよ。とか、

 

欲がないんじゃだめだよ。

 

とか、言われることもあるとは思うんだけど、

 

個人的には少し違うなぁ、

 

と、思っていて、

 

続けていたら、それが、やりたいこと、

 

になることが大切なんじゃないのかと。

 

無理やりつくるものでは、なくて、

 

こう、自然発生していくような、ナチュラル的な、

 

そんな、モノなんじゃないだろうか。

 

夢っていうものは

 

自分が心のそこから満たされているような、

 

状態や概念みたいな

 

そんなもんじゃないのだろうかと思っていて

 

○千万、〇億稼いでいる、とか、

 

そういう可視化できるものを、

 

夢みたいなものにしても、

 

結局、欲しいものみたいなものはどんどん、増えていくもんで。。。

 

もので満たされるのは一瞬なわけ、と、

 

結局可視化できるものは目標になるだけで、

 

夢とは別の話。

 

と、おもっている。。。

 

子供たちにも、

 

そこに気づかせることこそが自分たち、

 

大人の役割であって。。。

 

(わたしの年齢は27歳。こころは中学生ですが)

 

目標を持ちなさいではなくて、

 

その目標をかなえた先には自分がどんな状態になっていたいのか、

 

それを伝えてあげることがだいじなのかなぁ。。。

 

人生に対しての無気力感と、むなしさとか、

 

そういったものを

 

減らせるんじゃないかと。。。

 

 

それで自分の価値観と向き合わないあまりに、 

 

夢というものを

 

他者の物差しでつくってしまう、

 

無理やり作ってしまうあまりに、

 

今目の前にやっていることをおろそかにしてしまっていたり、

 

目標をかなえてしまったあとの、

 

完全燃焼後の無気力的な、

 

していたら、いわば、

 

自分と向き合うことから、

 

かけ離れてしまう状態に

 

なってしまうんじゃないだろうか。

 

結局なにを言いたいかというと、

 

やっていることは関係なくて、

 

自分の価値観と向き合って、

 

なにか夢中になっている状態を作り出すこと、と、

 

自分の満たされれている概念的なものをかなえるために

 

チャレンジしていることこそが、

 

人生を有意義なものにしていくものでもあるのかなぁ、と。

 

 夢を実現するための鍵は、成功することではなく、

 

その意義について目を向けること。

 

そうすれば、

 

過程における小さな一歩、

 

小さな成功が大きな意味を持つことになるわ。

 

オプラ・ウィンフリー

 

 

そんなことを書いていて、

 

考えがころころ変わってしまう自分に、

 

自分自身が困ることがたくさんあるんだけども、

 

こいつは、なにか夢中になっていたいんだろう

 

と、言う目で見ていただければ。。。

 

結局、迷いながらも夢中になって進む。。。

 

そうなってしまう。。。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。